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東京地方裁判所 昭和34年(ワ)10296号 判決

原告 佐々木道雄

被告 飯島つる

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は、「被告は原告に対し別紙物件目録記載の建物を明渡し、且昭和三十四年九月十七日以降明渡ずみまで一ケ月金四千円の割合による金員を支払え、訴訟費用は被告の負担とする、」との判決並びに仮執行の宣言を求め、その請求原因事実として次の通り述べた。

(一)、原告は昭和二十九年十一月一日被告に対し原告所有の別紙物件目録記載の建物を期間満五ケ年、期限には必ず明渡すこと、但し期間中でも解約申入れをなし得ること、賃料一ケ月金四千円毎月二十八日翌月分払いの約で賃貸した。

(二)、原告は右家屋を賃貸するについては、当初家賃五千円以上、一時使用的の短期間で期限に確実に明渡して貰える人を物色したのであるが、たまたま被告が従前住んでいた家屋を立退かされ、困窮しているのを見かねて、一時の急場を救うという良心の発露から、被告より懇請されるまま巳むを得ず五ケ年に限り家賃を四千円に割引して被告に賃貸したのである。

(三)、ところが後述の理由により原告として本件建物が必要になつたので、原告は昭和三十四年三月十四日被告に対し内容証明郵便により更新拒絶の意思表示をなすと同時に、併せて特約に基く解約申入れをなし、右書面は同月十六日被告に到達した。

本件建物を必要とする事情は次の通りである。

(イ)、原告は、その経営する会社の営業上の必要から、自家用自動車を購入したのであるが、その自動車置場として適当な場所がないため、自宅前の公道に駐車せざるを得ない状態である。然しこれは道路交通法違反であり、数回にわたり警察から注意されているばかりでなく、夜間酔払い等によりいたづらされたり、窓ガラスを壊されることが屡々で、盗難のおそれもある。なお近隣は商店住宅が密集していて車庫に適当な場所は全くない。

(ロ)、その上原告方は親子七人で、長男が大学、次男が高校三年で大学受験準備中、三男は中学三年で高校受験準備中、長女が小学校六年で中学受験準備中、四男が小学校四年と言うようにいずれも各自の勉強部屋と静かな環境がほしいところであるが、手狭のため雑居している。

(ハ)、それに被告は飲食店を経営し、深夜まで営業しているのでやかましく、子供の勉強の妨げとなるし、揚物の油の匂いや煙が原告方に入つて来て住むに堪えない。

(四)、以上の次第で前記解約申入れが被告に到達した日より六ケ月を経過した昭和三十四年九月十六日限りで本件賃貸借契約は解除されたものであり、そうでないとしても更新拒絶の意思表示の効果として期間満了日たる同年十月三十一日限りで終了した。

よつて原告は被告に対し別紙目録記載の家屋の明渡し及び契約解除の翌日たる昭和三十四年九月十七日から明渡ずみまで一カ月金四千円の割合による賃料相当の損害金の支払を求める。

(五)、更に現在では、

(イ)、長男次男は大学在学中、三男は高校在学中、長女は中学生、四男は小学生であるが、勉強部屋もなく雑居し、机の置場もない。その上妻は華道教授をしておるので、多数のお弟子さんが出入している関係上なおさら手狭になつている。

(ロ)、原告の経営する会社は事務所として東京都港区麻布新堀町四番地所在の約八坪の建物を借りているが、これは所有者が必要ある場合は何時でも明渡すと言う条件つきの使用貸借で、前々から明渡を求められていたところ、昭和三十五年十月二十七日の内容証明郵便によりこの建物を取毀しアパートを建てるからと言う理由で強硬にその明渡を求められている。それ故移転先を求めているが適当な場所がないため、会社の本店所在地として登記されている原告方に移転せねばならない事情にある。

(ハ)、さきに述べた通り、右会社経営上必要な原告所有の自動車の置場がないため、原告方前道路上を使用しているが、依然前述の不都合を避けられない。

(ニ)、昭和三十四年二月頃から本件賃貸借の期限到来をひかえ、原告は被告に対し数回にわたつて明渡の準備をするように相談をもちかけたが、被告はこれに耳をかさず、全然協力的態度を示さなかつたため、原被告間に対立的な感情が流れ始め、賃貸借契約の基礎をなす両当事者の信頼関係は既に崩れ去るに至つている。

(六)  以上の次第で原告の更新拒絶若しくは解約申入れは結局正当の事由があることに帰し、現在は原被告間に賃貸借契約は存しないものと謂わねばならない。

被告訴訟代理人は主文同旨の判決を求め、答弁事実として次の通り述べた。

(1)、請求原因事実第一項を認める。但し期限には必ず明渡すこと及び期間中でも解約申入れをなしうる旨の約定を否認するなお解約申入れの特約が結ばれたとしても、期間の定めのある賃貸借契約の場合右特約は借家法第六条に反し無効である。

(2)、請求原因第二項を争う。賃貸借契約締結当時経済的に逼迫していたのはむしろ原告であつて原告は高額の権利金や賃料をあてにしていたものである。

(3)、請求原因第三項及び第四項中内容証明郵便の到達を認めるが、その他の事実を争う。右の内容証明郵便は解約の申入れであつて、更新拒然の意思表示とは認めがたい。

原告は自家用自動車を所有していないし、仮にそれを所有しているとしても、その位の資力があるなら、自動車の購入に先だち他に車庫を求めるべきである。

本件賃貸借期間は五ケ年になつており、而も被告に於て更新できる定めになつているので、被告は長期間賃借できる見通しの下に、高額の権利金七万円を支払い、一ケ月金四千円の賃料を承諾した。そして内部を改装し、造作を加えて、軽飲食店を開いた。以来苦労を重ね、励んだ甲斐があつて、漸く客足がつき、商売が軌道に乗るようになつた。今ここを明渡しては折角の苦労も水の泡となり、明日の生活をもたてがたい。これに比較すると、自動車の車庫に充てると言う原告の使用目的とはその緊要度に格段の差があると謂わなければならない。

被告が賃借家屋で飲食店を営むことは、原告に於て始めよりこれを知悉していたもので、今更営業に文句をつけられる筋合いではない。

(4)、請求原因第五項はすべて不知である。家族が多くて現在の居宅では狭過ぎるなどの主張は、本訴前に聞かなかつたことを注意されねばならない。

又訴外会社の事務所が必要だとしても、それは原告とは別人格のものについての事由であつて、正当事由にあげるべきものではない。

以上のように答えた、

立証として、原告訴訟代理人は甲第一号証第二、第三号証の各一、二第四乃至第六号証を提出し、証人菅原孝三の証言及び原告本人尋問の結果を援用し、乙号各証の成立を認めた。被告訴訟代理人は乙第一号証の一乃至三第二、第三号証の各一、二を提出し、証人小川弘義の証言及び被告本人尋問の結果を援用し、甲第四号証中の官署作成部分とその他の甲号証の成立を認め、甲第一号証を利益に援用した。

理由

(一)、原告が昭和二十九年十一月一日被告に対し原告所有の別紙目録記載の建物を期間五ケ年賃耕一ケ月金四千円毎月二十八日翌月分払の約で賃貸したことは、当事者間に争がない。

(二)、更に当時の状況やその他の契約内容を調べると、いづれも成立に争ない甲第一号証乙第一号証の一乃至三証人菅原孝三の証言及び原被告本人尋問の各一部を綜合すると、かねて原告は不動産仲介業者訴外菅原孝三に依頼し、本件家屋の借り手を求めていたところ、被告は都内神田で小さな飲食店を営んでいたが、店を返還しなければならない仕儀に立至つていたので、適当な店を探していた折柄、本件家屋を知り、前記菅原孝三の仲介により、前記条項のほか、「権利金七万円、賃貸借期間満了の場合被告は権利金の授受なしに再契約をなしうること、他方原告に於ても解約権を留保し、期間内でも解約申入れをできること」等の条項を約し、金七万円の権利金を支払い、軽飲食店に使用する目的で本件家屋を賃借したことが認められ、右認定に反する双方本人尋問の結果は信用できない。

(三)、被告は前記約定中解約権留保の特約は本件の如く期間の定めある家屋賃貸借契約に於ては、借家法第六条に反し無効であると主張する。この点に関しては諸説があるが、期間を定めた条項を解約権留保の条項より重く見て、期間を総体に動かしえないものと解さねばならぬ根拠に乏しい。これと逆に解約権留保条項を重く見れば、期間の定めは無意義乃至は意義の薄い規定となるだけで、借家法第六条の問題を生じない。右の二つの条項は相容れない面が大きいけれども、全面的に矛盾するものでなく、両立しうる余地のある条項である。してみると契約条項はできる限り有効に解釈すべきであるから、両者を一様に有効視することは許されて然るべきである。よつてこの点に関する被告の主張はこれを採用しない。

(四)、而して原告が昭和三十四年三月十四日被告に対し同月十六日着の内容証明郵便で解約申入れをなしたことは当事者間に争がない。

なお被告は右の内容証明郵便は更新拒絶の意思表示と認めがたいと主張するけれども、成立に争ない甲第二号証の一内容証明郵便によれば、自己使用の必要が生じたとして、解約の申入れをなすと共に、「なお当初の契約期間も来る本年十月三十一日を以て満五年となりますが、右の次第で更新することはできませんから、この点も予め御了承願います」とあつて更新拒絶の意思表示と認めるに充分である。

(五)、そこで右更新拒絶に正当の事由があるかを調べると、原告本人尋問の結果及び成立に争ない甲第三号証の一によると、「原告に於て本件家屋を必要とする理由と言うのは、原告が勤務する会社所有の自動車(原告は自動車を所有していない)の車庫として使用したいと謂うことであつた。詳言すればその会社は、昭和三十二年に設立され、資本金二十五万円、株主七名、原告の出資額は金二万五千円でメツキ材の販売を業とする昭和商工株式会社と言う会社であつて、営業所は東京都港区麻布新堀町四番地にあつた。原告はその役員ではあるが、俗に謂う雇われ重役で会社経営の実権を有している訳ではなかつた。而して原告は担任業務の遂行上。会社所有の乗用自動車を利用することが多いので、退社時間後自宅迄その車に乗つて帰るが、車庫がないので、自宅前道路上に置いておくと、夜間酔払いにいたづらされたり、アポロやバツクミラーを盗まれたり、又警察官より道路交通法違反であると注意されるので、本件家屋をその車庫に使用したいと謂うのである。

なお原告の世帯は夫婦親子七人で、当時長男は大学、次男は高校在学で大学の受験準備中、三男は中学生で高校の受験準備中、長女四男が小学生で、その居宅の広さは、八畳間、六畳間、三畳の物置、台所と、離れの六畳半の板の間とであつて、ゆとりのある間数とは言えないにしても、狭くて堪らないと謂う程でもなく、従つて本件建物を居宅として使用する意思はなかつた。」以上の事実が認められる。

次に証人小川弘義の証言と被告本人尋問の結果とによると、「被告は本件家屋賃借後、原告の承諾を得て店内を軽飲食店風に改装し、ガスを引き、独立の電燈線を引込み、軽飲食店を開業したが、始めのうちは客がつかなかつたので、附近の工場を廻つて昼飯の注文をとり、これを配達して細々とやつていたが、苦労の甲斐があつて、ようやく客足がつくようになつて、生活の基盤ができたこと、被告には夫や子供はなく、電信電話公社に勤めている老年の兄がいるが、同人は別に暮しており、その世話になると言う訳にもゆかず、女ひとりで生活の道をたてて行かねばならないこと」、が認められる。

以上の点から判るように、本件家屋を必要とする度合は原被告間に格段の差があり、更に初めに認定した本件賃借契約締結の経緯を併せ考えると、五ケ年の期間満了の点を考慮に入れても、なお原告の更新拒絶に正当の理由があると認めがたい。

なお原告は、「被告の深夜営業がやかましくて子供の勉強の妨げとなり、又揚げ物の匂や煙が原告方に入つて来て住むに堪えない。」ことをも更新拒絶の一事由にあげる。証人菅原孝三の証言によれば、多少それに似たこともあつたようであるけれども、原告の主張の大げさのことは原告本人尋問の結果からも推断しうるところであつて、この点を加味しても更新拒絶に正当な事由があると解しがたい。

(六)  従つて又これと同時になされた解約申入れにも正当の事由を欠くことは同様と謂うべく、この点に関する原告の主張は採用できない。

(七)、次に原告は、その後子供等が生長して居宅は益々狭くなり、又原告の経営する会社の事務所に使う必要がある等(原告の(五)の(イ)乃至(ニ)の主張)主張するので調べると、原告本人尋問の結果によると、原告の子供等が大きくなり、居宅が手狭になつたとは言え、原告としては本件家屋を居宅に用いる意思はなく、又車庫に使用する計画もなくなり、現在は前記昭和商工株式会社の事務所に使用したい意向であること、即ち昭和商工株式会社は麻布新堀町に事務所を構えているが、それは相手方の好意により借受けたものなので、二年程前明渡を要求され、返還しなければならない羽目になつた。而して登記簿上は原告宅が同会社の本店となつているので、現在の事務所を明渡すとすれば資力がないため適当な事務所を借りられないから、先づ本件貸家を使うと言うことが考えられ、雇われ重役の手前これに応じなければならないことが認められる。

一方被告本人尋問の結果によれば、現在なお被告にとつて営業上ばかりでなく、生活上でも本件家屋の必要度が少しも減じていないことが認められるのであつて、その緊要度に於て依然懸隔のあることを否めない。

更に原告は原被告間に賃貸借関係の基礎をなす信頼関係が崩去つている((五)の(二)の主張)と言うけれども、証人菅原孝三の証言によれば、昭和三十四年春頃同人が仲に立つて示談交渉を進めた際、被告側より一年か一年半明渡を待つて貰いたい旨の申入れがなされたのに対し、原告が同年十月末の期間満了の際の明渡を主張して譲らず、交渉は難航し、結局太田弁護士や金原弁護士が夫々の代理人としてこれに関与することになつて訴訟に持込まれたもので、被告の態度を目して原告が主張するように全然非協力的とは解せられないのみならず、仮に被告が明渡要求には全然応じない態度をとつたと仮定しても、前記のように被告にとつて本件家屋が極めて必要であつて、原告のそれと格段の差がある場合には感情の対立も已むなく、これを以て賃貸借の基礎をなす信頼関係が失われたと謂うのは当らない。

以上の次第で期間満了後現在に至る迄の事情を考慮しても、解約申入れをなすに足りる正当事由の存在を肯定することはできない。

(八)、よつて原告の本訴請求は理由なきものと認めてこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用して主文の通り判決する。

(裁判官 室伏壮一郎)

物件目録

東京都大田区下丸子町五二三番地

一、木造スレート葺平家建店舗一棟

建坪八坪五合(実測七坪)

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